Ayutthayaは、家族が最初にタイに来た時、友人が来た時、会社の同僚が来た時、等、
もう行きたくないと思う程、何度も訪問しています。
そして、アユタヤ遺跡自体が、例えばクメール遺跡に比較し新しく、
私にとって少し魅力に欠けていました。
しかし、ガイドブックを改めて読んで見ると、
国際貿易都市として世界に認知された大都市であったようです。
何度来ても漫然と見ていた自分が恥ずかしくなります。
この遺跡は、アユタヤ島の中、
Wat Ratchaburanaのすぐ南にあります。(下の地図の赤丸印部)
遺跡の南側に駐車場があり、
そこへ車を置いて入って行きます。
最初の周壁の中へ入って行くと、
正面に、崩れたMaha(偉大な) That(仏塔)が
見えてきます。
入口近くにあった説明板です。
この遺跡の仏塔は、1374年に、
Phra Borom Rajathirat 一世
(1370-1388)の時代に建造を
スタートし、
Ramesuan王(1388-1395)の時代に
完成しました。
その後、
Song Tham王(1611-1628)の時代に、
仏塔が崩れましたが、
Prasat Thong王(1629-1656)の時代に
再建されました。
しかし、1767年、ビルマとの戦いにおいて、アユタヤは敗れ、仏塔は破壊されてしまいました。
この遺跡は、元々、王室寺院であり、チェディー(仏塔)の下から、
黄金の工芸品、宝塔が見つかっています。
その工芸品は、アユタヤのChao San Phraya国立博物館に展示されています。
確か、私の背丈くらいの大きな黄金の宝塔等が展示されていたと思う。
中には経典等が納められていたのかもしれない。
最初の周壁を中に入り、
右手に向かって歩いて行くと、
木の根に絡み取られた仏像の頭部があります。
この仏像の頭部は、
ビルマ軍によって、切り落とされ、
長い年月の間に木の根に絡み取られた物です。
(2006年に撮影)
木の根に絡み取られた仏像の頭部の前で写真撮影。
(2006年に撮影)
仏像は信仰深いタイの人々にとっては尊い物。
近くには、仏陀の頭より、自分の頭を高くしないように
注意書きがあります。
と言う事は、普通に立っていると、
この仏像の頭部より、自分の頭が高い位置になるので、
しゃがんで歩かないといけない?
写真撮影も難しい。
そして、簡単に近くへ寄れないように、
木の枠がしてあります。
これは、2009年に撮影した写真。
この時は、木の枠は無いけど、
近くに寄り過ぎないように、
杭が立っています。
仏像の頭部のUPです。
ガイドブックや、観光パンフレットにも
良く出てくる写真です。
遺跡の東側の礼拝堂跡と、その向こうの小祠堂。
(2006年撮影)
同じ礼拝堂跡と小祠堂。
(2009年撮影)
その礼拝堂の南側の壁。
遺跡中央の仏塔(Maha That)。
遺跡中央の仏塔(Maha That)。
東側、少し南寄りから見たところ。
この仏塔の下から黄金の工芸品が
見つかっています。
内回廊への東入り口から南方向を見たところ。
ここは回廊になっており、仏陀の座像が整然と
並んでいたのではないかと思う。
現在は、ビルマ軍によって、頭部が切り落とされた
仏陀の座像が残るのみです。
仏塔の東階段を南東から見たところ。
ナーガの手すりだったと思うが、
一部が残っています。
敷地内から北側を見ると、
北隣のWat Ratchaburanaが見えます。
中央の白い塔が、Wat Ratchaburanaです。
これは、回廊の北側、東から西を見たところ。
北西から仏塔を見たところ。
遺跡を西から見たところ。
一番手前には、セーマ石が見える。
そのセーマ石。
南西の経蔵。
その経蔵の内部。
屋蓋部は、レンガのせり出し構造で作られている。
南西から見たところ。
仏塔を南、少し東寄りから見たところ。
南東にあった井戸。
その井戸の内部。
南東から見たところ。
右端の木の影に中央の仏塔がある。